本レポートの概要|CROという新役職と人材教育
この回のレポートは全4本に分割しています。本ファイルはその4本目、テーマは「CROという新役職と人材教育」です。
日本のCFOと海外のCFOの職務範囲の違いが確認され、SCM(サプライチェーンマネジメント)だけでは地政学とマクロ経済の複雑化に対応できないとしてCRO(Chief Resilience Officer)の登場が語られる。COOが内部プロセスの最適化とバッファー削減に向かうのに対し、CROは外部ステークホルダーとの信頼保護と長期の生存可能性を担うとして、両者はレイヤーが異なり分離すべきだと整理される。起源としてロックフェラー財団の「100 Resilient Cities」が挙げられる。
事業部ごとのFP&A配置とCHROの重要性の高まりが川保氏から共有され、人的資本投資の予算取りという現実的な壁が語られる。守りの経営戦略から取った予算による教育は結局守りの教育にしかならず、経営戦略そのものを攻めに切り替えることから始めるべきだとされる。続けて教育に組み込むべき認知の柔軟性・批判的思考・曖昧性への耐性の3能力が示され、「想定外だった」という言葉が出た時点でその組織にレジリエンスは無かったという前田氏の総括に至る。
市場がCROの巧拙を評価基準に織り込む時期として2030年という見立てが示された上で、質疑応答は人員配置からCOOとCROの戦略的対立まで全8件を収録する。次回は反脆弱性(Antifragility)へ進むことが予告され、大阪エキスポや焼肉会などの運営告知、講義中に投げられた宿題・調査課題、そして本セッション全体を横断する用語集をあわせて収める。
CFOからSCM、そしてCROへ——レジリエンスは守りではなく攻めである
前提:日本のCFOと海外のCFOは別の職務である
まず過去の講義の復習として、CFOの定義の違いが確認された。 日本で語られるCFOは、銀行から資金を調達し、細かい紙の作業をしながらお金を管理している、という像に近い。 しかしアメリカのCFOは基本的にキャッシュフローベースで考える。 この資金を使ってどのように成長していくのか、というストーリーテリングの作成までを担う。 単にお金を管理するだけでなく、どこに投資し、会社のトップが外部にそのストーリーを伝えやすい流れを作ることがCFOの役割である。
SCMの限界とCROの登場
次に、サプライチェーンマネジメント(SCM)の限界が指摘された。 ティム・クックの事例として講義で扱ってきた通り、SCMは極めて重要である。 しかしサプライチェーンを最適化しようとすると、地政学的問題が起き、インフレ問題が絡み合う。 技術も次々と生まれてくる。この状況では、もはやサプライチェーンの管理だけでは足りず、 マクロ経済まで全体を把握しなければならない。 そこで登場してきたのがCRO=Chief Resilience Officer(最高レジリエンス責任者)という役職である。
「無駄の排除」から「過度な最適化は脆弱性を生む」へ
従来の経営戦略では、無駄を徹底的に排除し、コストを削減し、余裕資金を残すことが最適とされてきた。 しかし最近の研究では、極端な最適化はむしろ外部要因を受けたときに脆弱性を浮き彫りにすると言われている。 リスク回避をやりすぎることによって、外部的問題に耐えられる防御力を下げてしまう——日本企業はまさにこの状態にある、という指摘である。
レジリエンスは「守り」だと語られてきた。しかし今は時代の転換点であるため、 レジリエンス能力=攻撃であるという評価に変わってきている。 回復力・適応力を防御だと思っている人が多いが、最近の研究では、 守備ではなくオフェンスに回ることの方がレジリエンス能力が高くなる傾向が強いとされている。
ロックフェラー財団の100 Resilient Cities
CROという発想の起源として、ロックフェラー財団の「100RC」プログラムが挙げられた。 都市開発において、インフラ・環境・住宅・公共サービスといった領域の構造的脆弱性を解消し、 相乗効果を生み出す「攻撃的なプログラム」を作るべきだ、という考え方である。 問題をできるだけ解決すると同時に、新しいものを入れてソリューションを高める。
そしてCROの役割は、ソリューションの提供者ではなくファシリテーターであると位置づけられた。 不確実性がいつ起きるか分からないからこそ準備をし、常にそれに対応できる 「防災訓練」のようなことを、どれだけコミュニケーションとして日常的に取り続けられるかが問われる。
セッション内で「CROの起源は約100年前から考え方があって、ロックフェラー財団自体が100年前……50年前……忘れちゃった」 と発話がありましたが、裏取りの結果は次の通りです。
- 100 Resilient Cities(100RC)はロックフェラー財団が2013年に創設100周年を記念して開始したプログラム。
- 世界100都市に対し、各都市にChief Resilience Officer(CRO)を任命するための資金と、 レジリエンス戦略策定の支援を提供した。CROという職名が実務に定着したのはこのプログラムが決定的。
- プログラムは2019年に財団が支援を終了。以降は Resilient Cities Network 等が後継的に活動を継続。
「100年前」という発話は、おそらくロックフェラー財団の創設100周年(財団設立は1913年)と プログラム開始年(2013年)が記憶の中で混線したものと考えられます。 100という数字は「100都市」であって年数ではありません。 対外資料で引用する場合は「2013年開始・2019年終了・対象100都市」で修正が必要です。
「2030年までにCROの評価が標準化される」という見立てについて、方向性を裏づける最新の資料があります。 Harvard Business Review(2026年5月)「The Case for Hiring a Chief Resilience Officer」は、 CResO(Chief Resilience Officer)を「事業継続計画、復旧目標、危機対応、組織学習を全社横断で整合させる」役職と定義し、 障害が機能横断的に連鎖する現代において、それを統括する責任者が不在であることをガバナンス上の欠落として指摘しています。
同記事は、すでにこの役職を設置した企業として CrowdStrike、Goldman Sachs、Novo Nordisk、Allianz の4社を挙げています。 なお同記事は定量的な効果データを提示しておらず、議論は概念レベルにとどまっている点も併記しておきます。
ここで注目すべきは、後述する2024年の大規模障害の当事者であるCrowdStrike 自身が CRO を設置している点です。 本セッションで語られた「問題が起きた後に組織を適応させる(ACAのAdaptation)」が、 役職新設という形で実際に起きている実例と読めます。
セッションでは「クラウドストライクの2024年のMicrosoftのアップデート問題は、 完全にレジリエンスを強化しまくった結果、会社に問題が起きた事例だと言われている」と説明されました。 公開されている事故報告と照らすと、この因果の記述は正確ではありません。
- 発生日:2024年7月19日。CrowdStrike Falcon センサーの Rapid Response Content(迅速配信型の検知定義ファイル)の欠陥更新が原因。
- 影響:約850万台のWindows端末がブルースクリーン/起動不能に。 航空・医療・金融・放送が世界規模で停止し、史上最大級のIT障害と評されています。
- 直接原因:Content Validator のバグにより不正なコンテンツが検証を通過し、 カーネルモードドライバでのメモリ読み取り違反を引き起こした。
- 構造的原因として指摘されたのは、段階的展開(カナリアリリース/リングデプロイ)の欠如と テスト工程の不足。すなわち「レジリエンス設計が過剰だった」のではなく不足していた事例です。
ただし、セッションの主張である「極端な最適化は脆弱性を生む」という命題そのものは、この事例とも整合します。 配信速度を最適化するために検証と段階展開というスラック(冗長性)を削った結果、 単一の更新が全世界を止めた——という読み方であれば、事例と主張は一致します。 「レジリエンスを強化しすぎた結果」ではなく「速度最適化のためにレジリエンスを削った結果」 と言い換えると、論旨は保ったまま事実と整合します。
セッションで挙げられた「売上成長寄与+3〜5%」「オペレーションコスト▲30%」「TSR +10%」「エンゲージメント +20%」について、 対応する一次資料の数値を特定できませんでした。推測での補完は行わず、出典未特定として記録します。 ご本人も講義中に「僕自身が覚えていないので皆さんが調べておいてください」と述べており、宿題として扱うのが妥当です。
一方、BCG が実際に公表しているレジリエンス関連の数値としては、 『How Resilient Companies Created Advantages in Adversity During COVID-19』(2021年)に以下があります。
- TSRの上位25%と下位25%の格差は、コロナ前の75ポイント → ショック後105ポイントへ拡大(+30ポイント)。 危機は企業間の成績差を増幅する。
- 「新しい勝者」の前年同期比売上成長率は、劣後企業に対して 2020年Q2で+28ポイント、2021年Q2では+64ポイントへ格差が拡大。
- 新しい勝者は業界平均の2〜3倍の速さで回復。18か月時点では、 初期ショックの緩和よりも回復の「幅」が優位性の78%を説明した。
「回復の速さより回復の幅が効いている」という点は、本セッションの 「レジリエンス=守りではなく攻め」という主張と、方向として一致する実測データです。 発言中の数字より、こちらを引用した方が対外的な説得力は高くなります。
COOではだめなのか——レイヤーが違う
ここで自問として提示されたのが「CROではなく、COOをもう少し進化させればよいのではないか」という論点である。 これは実際に主張している論者もいる。しかし答えは「レイヤーが違う」だった。
| 観点 | COO(最高執行責任者) | CRO(最高レジリエンス責任者) |
|---|---|---|
| 主目的 | 内部の業務プロセスを最適化し、運用コストを削減する | 製品・サービス・ブランドと、顧客との信頼を保護する |
| 戦略的時間軸 | 短期的な実行計画をベースに考える | 長期的な生存可能性をベースに考える |
| リスク姿勢 | 効率性を最大化し、バッファーを削減する方向 | バッファーと選択肢を確保する方向 |
| 向く方向 | 内部。内部のレジリエンス強化(コスト削減等) | 外部。外部ステークホルダーとのコミュニケーションが決定的に重要 |
| 扱う領域 | オペレーションを滑らかに回す。お金に近い実務 | 商業的機会も含め、外部環境ごと捉える |
COOは「効率性を最大化しバッファーを削る」方向に構造的なインセンティブを持ち、 CROは「バッファーと選択肢を確保する」方向に動く。この二つは同一人物の中では両立しにくい。 だからこそ両者は分離すべきである、というのが本セッションの結論である。 (なおセッション後半で、参加者から「この二つは戦略的に対立しないのか」という質問が出ている。Q&A参照)
「2030年までにCROの評価が標準化される」という見立ての根拠として言及された BCI レポートについて、 BCI(The Business Continuity Institute)は『Continuity and Resilience Report 2025』および 『Operational Resilience Report 2025』を実際に公表しています。 前者は "From Tick-Box to Practice"(形式的なチェックリストから実践へ)というテーマ設定で、 事業継続がコンプライアンス対応から実務能力へ移行しつつある状況を扱っています。
ただし「2030年までにCROが市場の評価基準として標準化される」という具体的な年限つきの記述が 同レポート内に存在するかは特定できていません。要確認 方向性としてはレポートのテーマと整合しますが、年限を引用する場合は原文の確認が必要です。
事業部ごとのFP&A、CHRO、そして人的資本投資の予算取り問題
川保氏から、日本企業における最新の実務動向が共有された。 近年、日本の会社でもCFO傘下に事業部ごとのFP&A(Financial Planning & Analysis)を配置するケースが増えている。 そしてこのFP&Aに対する人材の供給が、現在の大きな課題の一つになっている。 レジリエンスという観点も含めて、事業部が大きくなればなるほど、この機能が大きなポイントになる。
もう一つの論点がCHRO(最高人事責任者)である。人的資本、そして財務・非財務情報の連携を含め、 CHROの社内でのポジションが非常に大きくなってきている。 CROとして置くのかCHROとして置くのかは会社のフィロソフィーによって変わるが、 最も大きいのは、事業部の計画に対してどれだけの達成があり、 それに対するリワード評価がきちんとできているかという点であり、ここが現在最も多く議論されるケースになっている。
予算取りという現実的な壁
ここで議論が実務的な摩擦点に到達する。川保氏は、人的資本投資について 「予算と時間コストを取らないと資源を投入してもらえない。 しかし『それをやって、うちの売上は今どれくらい上がるんでしたっけ』と言われると、そもそも話にならなくなる。 そういう経営者が多い」と現場の実情を述べた。
これに対するマイキー氏の応答は明快だった。 守りの経営戦略から取った予算で行う教育は、結局すべて守りの教育になる。 レジリエンスは防御ではなく攻めが合理的だという評価に変わっている以上、 まず経営戦略そのものを攻めの姿勢に切り替えるところから始めなければ、そもそも人材投資は始まらない。 経営戦略のレイヤーから突っ込んでいくのが、結果として最も予算が出やすい経路になる。
FP&A(Financial Planning & Analysis)は、経理・財務が「過去の数字を締める」機能であるのに対し、 将来の計画立案と、事業部門への意思決定支援を担う機能です。 米国では独立した職種として確立しており、CFO組織の中核に置かれます。
日本では、この機能が長らく「経営企画」と「管理会計」に分散していたため、 事業部に張り付いて数字で意思決定を支援する人材の層が薄く、川保氏の指摘する 「人材供給が課題」という状況につながっています。 日本CFO協会がFP&A関連の資格制度を設けるなど、職種としての整備が進行中の領域です。
認知の柔軟性・批判的思考・曖昧性への耐性——教育に何を組み込むか
レジリエンスという言葉だけが先行し、何がレジリエンスなのか分からないという状態への対処として、 原則(principle)レベルのフレームワークが存在することが説明された。 セッション内で言及された8つの原則のうち、講義中に具体的に触れられたのは以下の要素である。
| カテゴリ | 内容 |
|---|---|
| リーダーシップ | リソースとアセットをどう保護するか |
| 関係性とネットワーク | リーダーと組織の関係をどう構築し、守っていくか |
| 構造的レジリエンス | 迅速な対応(rapid response)をどう構造として実装するか。適応能力を構造に埋め込む |
| 変革的レジリエンス | ステークホルダーを保持しながら、プロセスをどう再設計するか。戦略・戦術のオペレーション。選択肢を増やすこと自体がレジリエンス強化になる |
| 文化 | コーポレートカルチャー。近年は「フィロソフィー・オフィサー」という役職も出てきている(川保氏) |
「レジリエンスには8つの原則がある」という枠組みについて、 対応する特定の標準規格やフレームワーク(例:ISO 22316 組織のレジリエンス、 BSI・BCI等の原則集)のいずれを指しているのか、発言からは特定できませんでした。
参考として、ISO 22316:2017(Security and resilience — Organizational resilience — Principles and attributes)は 組織のレジリエンスに関する国際規格で、共有されたビジョン、状況の理解、効果的で権限を与えられたリーダーシップ、 レジリエンスを支える文化、情報と知識の共有、資源の可用性、調整された管理体制、継続的改善の支援 ——といった属性群を定義しており、セッションで挙げられた要素とかなり重なります。 同規格を指していた可能性が高いですが、断定はできないため要確認としておきます。
教育に組み込むべき三つの能力
組織だけでなく、人の耐久力——個人のレジリエンス能力——を高める必要がある。 そこで教育・人材開発に組み込むべき能力として、三点が挙げられた。
新しい情報や変化する環境に応じて、思考プロセスを切り替えて問題を解決する能力。
個人としても複数の選択肢を持ち、何が最も最適かをすでに切り替えられる頭を持つことが重要であり、そのトレーニングをすべきだとされている。
自分にとって何が最もレジリエントか、何が選択肢として最も合理的かを常に判断し続けること。
レジリエンスを逆算すると、将来に対して批判的思考をどれだけ持てるかに行き着く。
前田氏の言葉を借りれば「自分のやっていることをどれだけ疑うか」。
これを教育の中にどう組み込むかが重要になる。
③ 感情:問題が起きると人は思考停止する
三点目は感情の扱いである。人は変化に対してストレスを感じるため、問題が起きると基本的に思考停止する。 その最も分かりやすい例として、数年前の新橋駅周辺で通信網が完全にシャットダウンされた出来事が挙げられた。
携帯回線が繋がらなくなった瞬間、情報を理解している人はカフェに入ってWi-Fiに繋ぎ、そこで対応した。 しかし大半の人は、カフェに入ることもせずにその場でぶつぶつ文句を言っているか、何もせずに諦めていた。 復旧がいつになるか分からない以上、Wi-Fiのある場所に移動して対応すればいいというのは、 普通に考えれば分かる。しかし問題が起きると人は思考停止する。 そして、普段から問題を避けている人間ほど、問題が起きたときに対応できない。
「数年前に新橋駅でネット環境が完全にシャットダウンされた」という事例は、 規模と時期から2022年7月2日のKDDI(au)大規模通信障害を指している可能性が高いと考えられます。 セッション内で事案名の明示なし
同障害は約80時間にわたり、最大3,915万回線・3,091万人以上に影響しました。 発話中に「KDDI、au、ソフトバンクとか」と複数キャリア名が挙がっていましたが、 2022年の障害はKDDI単独のものです(ソフトバンクは2018年12月に別の大規模障害を起こしています)。
なお本セッションの文脈で興味深いのは、PART 1 の Claude補足で触れた通り、 この障害の起点が作業手順書(マニュアル)の取り違えという人的エラーだった点です。 「マニュアルの硬直化」と「問題発生時の思考停止」という、 セッション内の二つの論点が同一の事案で交差しています。
④ 曖昧性への耐性
さらにもう一つ、曖昧性の耐性(tolerance for ambiguity)が挙げられた。 人は曖昧性があると動けなくなり、明確な行動指針がないと難しいと感じる。 しかし将来には不確実性があるからこそ、曖昧さを受け入れられる能力がレジリエンスの一要素になる。
レジリエンスを高めなければならない時期とは、不確実性が高くなる傾向が明らかな時期である。 不確実性が高まっているのにレジリエンスを高めないというのは、それ自体が矛盾している。
2030年に日本はどうなっているか。2035年にあなたの会社はどうなっているか。 そう問われて明るい未来が見えないのであれば、それこそまさに曖昧性が高い状態である。 だからこそ今のうちに攻めに転じ、人材に投資しなければならない。
川保氏はこれを受けて「まさに我々が最も弱いところかもしれない。 そこを逃げるというか、そこがある意味コンフォートゾーンになっている」と応じている。 そして議論は「では人を作るには教育からではないか」「地獄に落とすことから始めないと結局無理だ」 「日本にいるとそういう危機があまりない」という応酬へ進み、 最終的に「心理的安全性と言っている時点でもうできない」という、 PART 1 の議論を反転させる皮肉に着地する。
ただし極論に振り切るわけにもいかないため、傾向をどう作るかが重要になる、という調整が入る。 人が求めている安心感とは10年後の自分の将来の確約であり、 そのために必要なスキルが何かが明確に示されていないこと自体が問題である、というのが最終的な整理である。
「想定外」と言った時点で、その組織にレジリエンスは無かった
セッション終盤、前田氏がレジリエンスを失う組織の特徴を一つの症状として提示した。 形を作ろうとすることである。そしてその象徴的な言葉として、 「例外的だった」「想定外だった」という言葉が出てくる時点で、 そもそもその組織にはレジリエンスが無かったというのが前田氏の立場である。
渡辺氏はこれをコントロールパワーの問題として受けた。 秩序立って静的であればあるほど、それは監視の中に入り、コントロール可能なものになる。 その同一性からどう外れていくかが問われるが、コントロールパワーを手放すことは自我の崩壊に等しく、 極めて時間のかかる教育になる。
マイキー氏は、これを労働のマニュアル化と接続した。 相手に自由度を与えるのであれば、その分その人たちが優秀でなければならず、コミュニケーションが取れなければならない。 JPモルガンにマニュアルが無かったのは、そこに入るような人材が優秀だったからである。 では無能を相手にする場合はどうするか——ガチガチのルールでロボットのように動かすことになる。 しかしロボットに人権はない。フィジカルAIが出てくる以上、 マニュアル通りにしか動かない人間から、人権に相当するものは失われていくのではないか、という予測が示された。
今のやり方が最大のレジリエンスだと思っている時点で、そもそも終わっている。 硬直化=レジリエンスという捉え方をしている。 しかし最大のレジリエンスとは、本来「水」のような性質のものである。
「面白ければいい」「どうでもいい」の真意
ここでマイキー氏が、自身の口癖に対する誤解を訂正するという形で自己反省を述べた。 「どうでもいい」「面白ければいい」という言い方をよくするが、 これはレジリエンス能力が高いから言えることであって、無責任さの表明ではない。
「どちらでもいい」とは、どちらへ行っても最終的に同じ方向へ持っていける、という能力を前提にした言葉である。 だから能力のある相手には「どうでもいい」と言うが、そうでない相手には言わない。
「面白ければいい」も同様である。何が面白いのかと言えば、硬直化することが面白いのではなく、 変化するから面白いのである。ここで「面白い」と「楽」を混同している人が多い。 ロードマップが描けていて、目標に対してプロセスが進んでいるからこそ、どちらに転んでも面白い、という状態である。
面白い方向へ行く、どちらでもいい方向へ行くというのは、下手をすると 極めて面倒くさいことをやらざるを得ないということでもある。 だから、面倒くさいことを面白いと思える人でなければ面白くない。 これは要するに積極的に遠回りすることと同じである。
極限まで遠回りしても面白いと感じられるかどうか。 大抵の人は遠回りをつまらないと言う。しかし遠回りをしないことには、 他人が既に付けた足跡をたどるしかなくなり、確実に競争にしか巻き込まれない状況になる。
負けを認める文化と、「やらせるまでやらない」という現実
川保氏が最後に一つの提案をした。レジリエンスを高めるという観点から言えば、 負けを認める、間違いを認めるということがもっとあっていい。 しかし認めることによってバツを食らうというカルチャーがどこかにある。 負けは負けとして認め、なぜ自分が間違えたのかをしっかり分析し、それを皆に伝える。 これが組織としてのレジリエンスを上げることになる。 組織にいると「ああ、俺は間違えていたな。でも今言うとバツを食らうしな」と思うケースが非常に多いため、 それを明確にカルチャーとして認めるようにすればいいのではないか、という提案である。
マイキー氏はこの提案に強く賛成しつつ、もう一段のステップが必要だと述べた。 チャレンジして失敗してもいい、何をやってもいいという文化を実際に作っても、人はやらない。 だから無理やりやらせるしかない。これは企業でも同じである。
そして評価基準そのものへの言及——「硬直化するやつはダメだ、喋らないやつはダメだ」と明示的に言っている。 失敗してもいい、変化してもいい、捨てていけばいい。 ただしこれは作っただけでは動かないので、やらせる以外にない。
ネガティブな情報のレポートを上司に出す。その際の評価基準が腐っていた場合どうなるか。 前田氏が別途述べていた「褒め合うな」という指摘がここで効いてくる。 褒め合っていたら課題が見えない。 「あなたにはこういういい所がある」は、レジリエンスの文脈ではどうでもいい。 いい所は伸ばせばいい。問題は、悪い所・弱い所をすべてボトルネックとして捉え、 そこから問題が生まれてくるという因果を認識できるかどうかである。
マイキー氏は最後に、自身が何十というビジネススクールに投資してきた経験から、 崩壊していく組織の流れはほとんどコミュニケーションに起因していたと述べ、 「86%と言われているが、自分の実感では100%に近い」と締めくくっている。 国を問わず、崩壊するところはコミュニケーションエラーである。 人の話が理解できず、人にうまく伝えられない人は、その時点で既にエラーである。 組織は内部の氾濫からどんどん隙きができ、そこを外部に潰される——これが基本的な歴史の流れである、という総括だった。
次回予告と運営告知
講義を担当した前田氏から、今回の講義の理論的な出典が明かされた。 ベースにしたのは通常事故理論(Normal Accident Theory)、 高信頼性組織理論(HRO)、そしてレジリエンス工学の三つの流れであり、 それらを実務的な視点で接続すると見えやすくなるのではないか、という設計だったという。
また、チャレンジャー号事故をはじめとする事故がすべてコミュニケーションミスに起因していることは 正式なレポートでも示されている、と補足された。 完全なものはなく、「できる」という状態も存在しない。 ならば、できない中でどう模索するのか、分からない中でどう模索するのかという意識を持たなければ、 そもそもマネジメントすること自体が厳しい——これが今回のテーマ設定の動機である。
次回は反脆弱性(Antifragility)まで踏み込む予定であることが示された。 渡辺氏からは、それに対して「原始的な構成権力」「分離と撤退」「権利を権利に変える変換式とバランス」といった論点が示唆され、 レジリエンスという考え方の中にもいくつかの方向性の違いがあるため、 そこをきちんと伝えていく必要があるという整理がなされた。 また「攻撃」というイメージが現状の発想からは湧きにくいため、要素分解が必要だという課題も共有された。
- 通常事故理論(Normal Accident Theory):Charles Perrow が 『Normal Accidents: Living with High-Risk Technologies』(1984年)で提示。 システムが「相互作用の複雑性」と「密結合」を併せ持つとき、事故は例外ではなく正常な帰結として起こる、という悲観的立場。 前田氏の「想定外と言った時点でレジリエンスがない」という主張は、この理論と直結しています。
- 高信頼性組織理論(HRO):Karl Weick & Kathleen Sutcliffe らによる立場で、 Perrow とは逆に、失敗へのこだわり・単純化への抵抗・オペレーションへの敏感さ・ レジリエンスへのコミットメント・専門知識の尊重という5つの原則により、 複雑で危険なシステムでも高信頼性は達成できるとする。マイキー氏の「常に粗探しをする」はこの第一原則そのものです。
- レジリエンス工学(Resilience Engineering):Erik Hollnagel らが牽引する分野で、 「何が失敗したか」ではなく「なぜ普段うまくいっているのか」を出発点に置く。 対応する/監視する/学習する/予見する、という4つの能力(cornerstones)を組織の要件とし、 本セッションで語られた ACA モデル(Anticipation / Coping / Adaptation)と実質的に同じ構造を持ちます。
なおチャレンジャー号事故(1986年1月28日)については、 ロジャーズ委員会報告書が、Oリングの低温脆化という技術的欠陥に加えて、 技術者の警告が経営判断層に届かなかった意思決定プロセスの欠陥を明確に指摘しています。 Morton Thiokol の技術者ロジャー・ボジョレーらが打ち上げ前夜に反対を表明しながら覆された経緯は、 PART 4 の「組織的沈黙」の教科書的事例として今も引用されます。
運営からの告知
- 大阪エキスポ:8月28日(金)・29日(土)・30日(日)の3日間。 今回はミニセミナーを実施予定で、コミュニティメンバーの中からスピーカーを選出する。
- LINE誘導部隊の準備。 今後のセミナーへの誘導を仕掛けるため、LINE登録獲得の実働部隊を準備する。日程まで時間があるため準備期間あり。 チャット欄に申し込み・登録フォームを掲示するので、興味のある方はまず登録から。
- 木曜日の焼肉会(貸切)。 6年待ちの店を貸切で押さえている。参加希望者はメッセージで連絡。まだ枠に余裕あり。
- 次回講義は水曜日。反脆弱性(Antifragility)まで踏み込む予定。
質疑応答(全8件)
まず問題を整理すべき。経理担当が一人しかいない会社で、その人が急に辞めたら誰も代替できない。二人にすればコストは上がるが、対応能力も上がる。つまり単純な正解はなく、自社が使える資本と、どこにどの程度の危険性があるのかを見比べた上で人の配置を設計することが必要になる。減らすという発想だけで動くと、トラブルの瞬間に何もできない会社になり、それで潰れることが実際に起こりうる。
マニュアルにハザードを組み込むのは難しい。マニュアルは成長のためのルーチンを作る道具であり、同時に「これができない人は企業にとって不要」という葛藤を示す目安、つまり学習の指針である。ハザードは企業文化の側で扱うべきで、「失敗してはいけない」ではなく「してもいい、ではどうやってしましょうか」という設計に切り替え、経験値に応じた試行範囲とチェックシステムを作る。マニュアル化ではなくシステム化の問題。加えて、失敗は心理的摩擦の大きい行為なので、飛び込んでもクッションがあるという状態(心理的安全性)を先に作る必要がある。
常に粗探しをするしかない。どんなことでも完璧なことはない。同じことをやっているという前提に立つと「自分たちはすでに完璧にできている」という前提が忍び込むが、同じことをやっていても完璧にできているわけではない。問題点を見つけて改善していくと、同じように見えることでも実は違うことをやっている場合があり、制度が変わり質が変わっていることもある。
転換点というより、当時のモルガン信託銀行が日本の公的資金を運用する時代で、アナリストもPMも数名しかいない中、フルカバレッジ化のために人材を拡張していく時期だった。最も驚いたのは、最初の段階からチーム全員と面接させられ、回数はほぼ20回近くに及んだこと。全員の合意サインが出ないと採用しないというのが当時の方式で、これはトップマネジメントを除き全世界共通だったと思う。普通にコミュニケーションが取れ、分かりやすい人間であることを全員が確認した上でチームに入れる。そのため入社後、マニュアルは正直言って見たことがない。
その通りで、問題が一つ起きると次々と派生していく。それを認知するために何をすべきかと言えば、日頃からコミュニケーションを取っておくこと。問題が起きたときの回復速度は、事前のコミュニケーション量に依存する。ただしそれは自分一人では無理で、構成員からのフィードバックが必要になり、そこに対して準備ができているかどうかが本質になる。
予算の議論から入っても意味がない。守りの経営戦略から取った予算で行う教育は、結局すべて守りの教育になる。レジリエンスは防御ではなく攻めが合理的だという評価に変わっている以上、まず経営戦略そのものを攻めの姿勢に切り替えるところから始めなければ、そもそも人材投資は始まらない。経営戦略のレイヤーから突っ込んでいくのが、結果として最も予算が出やすい経路になる。
だからこそ人事制度が最も重要である。レジリエンスとは要するにリソースの確保であり、その配分を決めるのが人事制度だから。そして、そこで最も問題が出るのがコミュニケーションエラーである。組織が崩壊し事業が回らなくなるケースは、統計では86%と言われているが、実感としては100%に近い。国を問わず、崩壊するところはコミュニケーションエラーで崩壊する。人の話が理解できず、人にうまく伝えられない人は、その時点で既にエラーである。
100%入っている。参加者は経営者が多いため、レジリエンス能力を高めることは今後必須になる。特に業界単位でレジリエンスを高めなければならない時期に来ている業界もあるので、ぜひ参考にしてほしい。(長崎氏からは「投げかけても『持ち帰ります』と返ってきてイライラしている」「嫌われてもいいのでとことんやる」というコメントがあった。)
宿題・調査課題
講義中に「自分では覚えていないので調べておいてほしい」と明示的に投げられた宿題と、 Claude の裏取り作業から浮上した確認事項を、優先順に整理する。
- レジリエンス関連の定量データの一次出典を特定する。 BCG/マッキンゼー/ギャラップとして言及された「売上成長寄与+3〜5%」「オペレーションコスト▲30%」「TSR +10%」「エンゲージメント +20%」は、 いずれも一次資料の特定に至っていない。対外資料で使う前に原典を押さえる必要がある。 代替として、BCG 2021年レポートの実測値(成長率格差 +28pt→+64pt、回復速度2〜3倍、TSR格差 75pt→105pt)は使用可能。
- CrowdStrike 2024年障害を各自で調べる。 講義中に「調べてください」と明示された宿題。ただし講義内の「レジリエンスを強化しすぎた結果」という因果は事実と異なるため、 「速度最適化のために検証・段階展開というスラックを削った結果」という理解に修正した上で読むこと。
- BCI レポートの原文で「2030年」の記述を確認する。 『Continuity and Resilience Report 2025』『Operational Resilience Report 2025』は実在するが、 「2030年までにCROが市場の評価基準として標準化される」という年限つきの記述が原文にあるかは未確認。
- 「レジリエンスの8原則」が何のフレームワークを指すかを確定させる。 ISO 22316(組織のレジリエンス)の属性群と重なる部分が多いが、断定できていない。 8原則すべてを列挙できる資料を特定すれば、そのままチェックリストとして運用できる。
- イェール大学の「転換点における最重要採用基準=コミュニケーション能力」の出典を確認する。 対応する一次資料を特定できなかったため、現時点では引用不可の扱いとする。
- 次回に向けて反脆弱性(Antifragility)を予習する。 タレブ『Antifragile』(2012年)。レジリエンス(原状復帰)と反脆弱性(衝撃で強くなる)の差を明確にしておくと、 「レジリエンス=攻め」という今回の主張が、どこまでレジリエンスの範囲で、どこから反脆弱性の領域なのかを切り分けられる。
- 自組織のACAマッピングを作成する。 現在抱えている課題を、まずテクニカル/アダプティブで仕分け、次にCynefinの4領域(+Confusion)に振り分け、 さらにACA(予見/対処/適応)のどのフェーズにあるかを重ねる。入り口が「分類」「分析」「仮説」「行動」のどれになるかを確定させる。
- 「褒め合わない」評価設計の検討。 ネガティブ情報を上げた人間が不利にならない評価基準を、実際に設計として書き出す。 文化を宣言するだけでは人は動かないため、「無理やりやらせる」仕掛け(強制的な課題提出、反省の全体共有など)まで含めて設計する。