STUDY REPORT / 2025年11月度 勉強会

AI後に評価される三条件――米国VCの判断基準はなぜ「面白いかどうか」に移ったのか

全員が同じ品質の資料を作れるようになったとき、投資家は何を見るようになるか。講師が提示した答えは、アナログの強さ・柔軟性・面白さという、極めて人間的な三条件だった。

EXECUTIVE SUMMARY

資料が同質化した先に何が残るか

2,500億ドル
2024年の世界の民間AI投資額
340億ドル
うち生成AIへの投資額
約8倍
生成AI投資の3年前比(講師発言)
2 : 8
質が向上したピッチと低品質ピッチの比率
6〜7割
米国VC資金のレイトステージ比率
3条件
独自データ・学習能力/適合力・ユニーク性

マルクスの上部構造/下部構造の講義が「対話がものすごく重要である」という結論に達したところで、講師は「最近プレゼンテーションがすごく変化している」と話を切り替えた。ベンチャーキャピタルの現場で何が起きているかという実務の話であり、同時に「上部構造と下部構造はどのスケールにも存在する」という直前の議論の応用でもある。VCが上部構造、スタートアップが下部構造にあたる。

講師の観察はこうである。生成AIの普及によって、スタートアップのピッチ資料は「質の向上した2割」と「低品質のピッチが増加した8割」に二極化した。しかも上位側の資料も同質化している。市場説明もブランディングもTAM/SAM/SOMも、AIに作らせれば似た形になる。データ依存の資料はすべて似てくる。

同時に、良い変化も起きている。AIを活用することでスタートアップが少人数化し、5年前より小さいチームで立ち上がるようになった。すると調達額が小さくなり、投資家は資金を分散しやすくなり、調達できる企業の数が増える。ただしその裏返しとして、評価額が上がりにくくなり、注目もされにくくなる。講師はここから「いずれ調達がしにくくなる」「今後はレイトステージのほうが重要なのに、そこで調達しにくい状態が生まれる」と踏み込んだ予測を立てた。この予測が2026年8月時点でどうなったかは、本レポートで検証している。

そして本題である。全員が同じ水準の資料を作ってくるなら、VCは何で判断するのか。講師が挙げたのは四つだが、実質的には三条件に集約される。会社が持っている独自データ(=アナログでしか取れないもの)、創業者・ボードメンバーの学習能力(=好奇心)、そしてユニーク性と適合力(=面白いかどうか、こだわりのなさ)。講師は「僕がずっと言っていたことですよね。アナログで稼げ、アナログで動け」「AIが出てくると一番強いやつはバグのある人間である」と、自説と一致していることを繰り返し強調した。

セッションを貫く1本の線

AIが人間の仕事を代替するのではなく、AIが人間の出力を均質化することで、均質化しない部分だけが値段になる。だから残るのは「機械が再現できない一次情報」「機械が持てないこだわりのなさ」「機械が出せない意外性」の三つになる。参加者の一人はこれを「バグ・リーダーシップ」と呼び、過去に学んだどのリーダーシップ理論にも当てはまらない新種だと評した。

PART 0 / 話題の転換

「対話が重要である」から、プレゼンの話へ

直前の議論で、組織の上部構造と下部構造をどう動かすかという問いに対し、強制と対話という二つの選択肢が示され、対話の重要性が確認された。講師はここを継ぎ目にして、「この中で最近プレゼンの話なんで、ちょっとプレゼンテーションがすごく最近変化しているという話をしていいですか。おそらく〇〇さんとか好きな話だと思うんですけど、ベンチャーキャピタル絡んでちょっと話します」と切り出した。

この転換は唐突に見えるが、論理的には連続している。プレゼンテーションとは、上部構造(資金の出し手)と下部構造(事業の実行者)のあいだで行われる対話そのものだからである。講師は後半で明示的に「このベンチャーキャピタルが上部構造で、スタートアップ企業は下部構造ですよね。文化を作っていくわけでしょう」と述べ、この対応関係を確認している。

PART 1 / 前提となる数字

作る企業から、使う企業へ

講師はまず、スタンフォード大学のHAI(Human-Centered AI研究所)が公開しているAI研究レポートを参照するよう促した。「ぜひ検索してもらったりすると分かるんですけど」と、原典に当たることを繰り返し勧めている。

そのうえで数字を出す。2024年の世界の民間AI投資は約2,500億ドル。うち生成AIへの投資は約340億ドル。「そんなに実は多くないんですよ。ただこれは3年前と比較すると8倍くらいになっている」。

そして構造変化を指摘した。「これによって今度は何があるかというと、AIを作るところから、AIを作る企業から、AIを活用する企業ができあがっているんですよ」。この主語の交代が、以下すべての議論の起点になる。

📌 Claude補足:数字はAI Index 2025とよく一致する

Stanford HAIの「AI Index Report 2025」(2025年4月公開)によれば、2024年の企業によるAI投資総額は2,523億ドルで前年比26%増。生成AIへの民間投資は339億ドルで2023年比18.7%増である。講師の「約2,500億ドル」「約340億ドル」という数字は、この報告の数値とほぼ正確に一致する。

「3年前と比較すると8倍」という点も、同報告が生成AI投資を2022年水準の約8.5倍と記述しており、整合的である。

地域別では、米国の民間AI投資が1,091億ドルで、中国の93億ドルの約12倍、英国の45億ドルの約24倍。また2024年時点で組織の78%がAIを利用しており、前年の55%から急伸している。「AIを作る企業から、AIを活用する企業へ」という講師の構造変化の指摘は、この採用率の数字によっても裏づけられる。

出典:Stanford HAI「AI Index Report 2025」。2024年の企業AI投資総額2,523億ドル、うち生成AI 339億ドル。地域別は米国1,091億ドル、中国93億ドル、英国45億ドル。Claude作図。
PART 2 / 二極化

ピッチの質が 2 : 8 に割れた

講師の観察はこうである。起業家がVCにプレゼンをして資金調達をするという構造そのものは変わっていない。しかしその中身で「プレゼンの二極化」が起きている。

2割:プレゼンの質の向上

AIを活用することで、以前なら作れなかった水準の資料を作れるようになった層。市場分析もデータ整理も高速化した。

8割:低品質ピッチの増加

作りやすくなった分だけ、水準に達しないピッチの絶対数が増えた層。VCの受信箱が埋まる原因になっている。

そして講師は、これと並行して「世界中のVCが行っているようなプレゼンの機会自体が、かなり低下してきている状態である」と述べた。参加者が「起業家がベンチャーキャピタリストにアクセスできる頻度が増えたからでは」と応じ、講師は「それも確かにあるんですけど、後で説明します」と留保している。

資料が同質化する

講師の主因の説明はこうである。AIを活用してデータを作ってくることで資料ができあがる。すると資料が同質化する。「例えば市場の説明だったり、ブランディングだったり、よく出てくるのがTAM/SAM/SOMですね。こういうものも大体似てきているんですよ」。

そして講師は、この同質化の原因を一語で言い切った。「データ依存」。フィールド調査、すなわちアナログ調査が抜けているから似てくる、という診断である。

📌 Claude補足:2026年8月時点でこの診断はどう見えるか

ピッチ資料の同質化は、2026年時点でVC業界の共通認識になっている。実務系のレポートでは「『AIを活用している』と言うことはもはや差別化にならない。すべてのVCの受信箱にあるすべてのピッチデックがそう書いている」という表現が定着している。

評価基準の変化も講師の指摘と方向が一致している。2025〜2026年に資金調達に成功したデックは、明確なAIの堀(proprietary models、autonomy、独自のデータ資産)を示しており、従来型のTAM/SAM/SOMスライドは、ボトムアップの収益化の切り口に置き換えられている。投資家の問いも「モデルはどう動くのか」から「日々のワークフローにどれだけ深く埋め込まれているか」「スケール時にマージンはどうなるか」へ移った。

皮肉な展開として、VC側もAIでピッチデックをスクリーニングするようになっている。人間のパートナーがファイルを開く前に、AIツールがトリアージ・指標のベンチマーク・定量チェックを済ませる。つまりAIが作った資料をAIが選別する層ができ、そこを突破した後に人間が判断する、という二段構えになった。この構造は、講師の「では人間は何で判断するのか」という問いの重要性をむしろ高めている。

PART 3 / 少人数化の連鎖

調達しやすくなり、同時に調達しにくくなる

講師は、AI活用による良い変化として「5年前より少人数性のスタートアップが生まれている」ことを挙げた。そしてそこから連鎖を追っていく。参加者との一問一答の形で進んだこの部分が、この回で最も論理が緊密な箇所である。

#起きること帰結
1AI活用でスタートアップが少人数化する必要な資金調達額が小さくなる
21件あたりの調達額が小さくなる投資家は資金を分散しやすくなる
3投資家が資金を分散する投資先・調達できる企業の数が増える
41件あたりの調達額が小さい評価額が上がりにくくなる
5評価額が上がりにくい注目されにくくなる/インパクトが出ない
6注目されないいずれ調達がしにくくなる
講師の予測:レイトステージが詰まる

講師はここから米国VCの資金配分に踏み込んだ。「基本的に米国は6割から7割がレイトステージだよって話したんですよ。この比率が変化しつつある。逆にレイトステージでの調達が難しくなってきている」。

理由の説明:「評価額が分かりやすいので調達がしにくくなる。今後のレイトステージは、シードよりレイトのほうが重要なんですよ。ある程度のものができあがりました、今後この事業をでかくしていくんだという状態のときに、調達しにくい状態が生まれる。これが今AIが引き起こしているVCに対しての評価基準の変化なんですよ」。

📌 Claude補足:この予測は2026年8月時点で当たったのか

「米国VCの6〜7割がレイトステージ」という前提は正確である。2025年の北米VC資金のうち、レイトステージが68%を占めていた。シードは案件数の約40%を占めながら金額では9.4%しか取れていない、という偏りも同時期のデータで確認できる。

しかし「レイトステージでの調達が難しくなる」という予測は、少なくとも金額ベースでは外れている。2026年上半期、北米のスタートアップ投資は3,920億ドル(Q2単独で1,372億ドル)と過去最高を記録し、その牽引役はまさにAI大手のレイトステージ・メガラウンドだった。グローバルでも2026年上半期のベンチャー投資は5,100億ドルに達し、2025年通年の4,400億ドルを半年で超えている。レイトステージ資金はQ2単独で1,340億ドル、前年同期比141%増である。

ただし、講師の予測の後半部分は的中している。同じデータは極端な集中を示している。Q2のグローバル・スタートアップ資本の70%超がAI関連企業に流れ(前年の50%弱から急増)、OpenAIとAnthropicの2社だけで上半期の世界のベンチャー投資額の43%にあたる2,170億ドルを占めた。4件の取引がグローバル四半期投資額のおよそ3分の2を占めている。そして案件数は2021年水準を大きく下回ったままである。つまり金額の急増は裾野の拡大ではなく集中の結果であり、上位数社を除けば「評価額が上がりにくく、注目されにくく、調達しにくい」という講師の描いた状態がそのまま実現している。

整理すると、講師の予測は「レイトステージ全体の金額」という指標では外れ、「中央値のスタートアップにとっての調達環境」という指標では当たった。同じ現象を、総額で見るか分布で見るかによって評価が反転する典型例である。

出典:Crunchbase/PitchBook-NVCA Venture Monitor 等の公開集計に基づきClaude作図。2026年上半期のグローバル・ベンチャー投資5,100億ドルのうち、OpenAI・Anthropicの2社で2,170億ドル(43%)。総額は過去最高だが、案件数は2021年水準を下回ったままであり、金額の伸びは集中によるもの。
PART 4 / 新しい判断基準

VCが見るようになった三条件

講師は問いを立て直す。「ある程度みんながある程度のものを作れちゃうので、判断基準を変えなければいけない。これは何かというと、独自データは何なのか。創業者とかボードメンバーですね」。そして具体的に四項目を挙げた。

CRITERION 01
会社が持っている
独自データ
「独自データはどうやって取りますか」という講師の問いに、参加者が「足で稼いで」と即答。講師は「そう、アナログですよね」と受けた。AIで生成できないのは、自分の足で集めた一次情報だけである。
CRITERION 02
創業者・ボードメンバーの
学習能力=好奇心
「ボードメンバーの学習能力、これ何ですか。好奇心なんですよ」。学習能力が高いということは、こだわりを持っていないということでもある。学習に対して柔軟性が高い状態。
CRITERION 03
ユニーク性と適合力
=面白いかどうか
「このユニーク性は何かというと、面白いかどうかです」。ここでの面白さは笑いを取ることではなく、人間的に魅力的かどうか、視点が独自かどうかを指す、と後段で補足された。

講師はこの三条件を何度も言い直している。「アナログで稼ぐ、柔軟性が高い、面白いかどうか」。そして自説との一致を強調した。「これが今、僕が常に言っていたことですよね。アナログで稼げ、アナログで動け。1つ目ですよね、独自データを持つように。2つ目が柔軟性が高い、すなわち学習能力が高いということはこだわりを持っていない。3つ目が面白いかどうか、ユニーク性なので」。

📌 Claude補足:2026年の採用市場でも同じ三条件が浮上している

講師の三条件は、VCの投資判断だけでなく、労働市場全体の評価軸としても2026年に顕在化している。PwCの「2026 Global AI Jobs Barometer」は、AIが労働市場を二つの経路に分岐させ、人間的スキルに報酬が集まっていると報告した。判断力(judgement)、創造性(creativity)、リーダーシップの重要性が上昇しているという内容である。

雇用主調査でも、批判的思考を重視すると答えた企業が65%、判断力と意思決定が59%、創造性が58%で、いずれも1年前より重要度が上がったとされる。またAI関連職の求人分析では、技術スキルだけでは不十分であり、78%の雇用主が「技術的には優秀だがソフトスキルで落ちた候補者を採用した経験がある」と回答している。

特に講師の「学習能力=こだわりのなさ」に対応するのが、「データが不完全で、利害が実在し、AIが3つのもっともらしい選択肢を出してきたときに、擁護可能な判断を下せる能力」という記述である。AIが選択肢を出す時代には、選択肢を作る能力より選ぶ能力が希少になる、という診断であり、講師の主張と方向が一致している。

ただし、講師の「面白いかどうか」という基準は、これらの調査における「創造性」「対人スキル」と重なる部分はあるものの、より広く人格的魅力を含む概念であり、そのまま同一視はできない。講師独自の定式化として扱うのが妥当である。

マクロデータを不要と言う人間の正体

講師はここで、自分たちのような立場が経営者から煙たがられることに触れた。「マクロデータをむちゃくちゃ使うので」。そのうえで反転させる。「マクロデータがいらないという人間は、アナログデータを持っていないやつなんですよ」。

そして核心を述べる。「大事なことは、マクロデータとアナログ、自分の自社をどうやって埋めるのかが、ビジネスの成長なんですよね」。日本で経営学と経済学が発展していない理由は、「企業の経営者がアナログデータを持っていない証拠」だという。

なぜアナログデータが投資判断に効くのか

講師の説明はこうである。自分が取っているアナログデータはバイアスがかかったデータであり、それをどう戦略で埋めるかがビジョン・ミッション・バリューになる。そして重要なのは次の一文である。

「自分たちが欠落しているところが何なのかがはっきりと見えることなので、逆にそれを改善する能力があるのであれば、それは投資したいんですよ」

「これだけの隔たりがあって、こういう技術があるからこそこのデータに持っていけるんだ、という説得性が生まれるのは、このアナログデータを持っているかどうかだけの話」。逆に、マクロデータは持っているがアナログデータがない企業には、「あなたの会社はどこからどこへ行くんですか」が投資家から見えない。だから誰も投資しない。

補講者はこの点を思想史の側から補強した。「アナログで持っている独自性は、みんなもう軽視しているものですよね。ここがどんどん足りなくなってしまっていて、それがどんどん同質化を生んでいる。これがやはり世界の見え方や、物事の分析の方法が、いかにすでに先行してある学問形態や言語化によって支配されているか。そこを壊して考えることができなくなっている」。そして「問題解決もすでに出ている解決療法の修正でしかなく、新しいものが生み出せない。ということは、社会を根本的に変えることに誰も関心がなくなってしまったことを意味している。それに対してVCがお金を出せないのは当然だと思います」と結んだ。

PART 5 / バグという言葉

AI後に残る産業は「バグ」しかない

この回でもっとも印象的な定式化が、終盤の質疑で出てきた。参加者の一人が「今日のアナログと柔軟性と面白さというのは、過去に私が勉強してきたリーダーシップの中に全然なくて、特別の新しいリーダーシップなんだなと思って。バグ・リーダーシップという理論なのかと思って拝見していました」と述べたのである。

講師の応答が、この回の中心的な主張になっている。

講師の見解

「基本的に今後残る産業はバグしかないと思っているんですよ、僕。AIというものができあがってきて完璧な仕事をするということは、その人のミスが許されるもの自体に価値ができると思っている」

「そうなってくると、やはりこの面白さというところはすごく重要になってくるんじゃないか。こういう面白さって、別に笑いを取るとかじゃなくて、人間的に魅力的だなとか。そういう人たちのほうが、しっかり調達できやすいというのも実際にあるわけなんですよね」

そして講師は、これは以前から言っていたことだと繰り返す。「これが言ったでしょ、僕ずっと。AIが出てくると一番強いやつはバグのある人間であると。アナログが強いやつが一番強い。面白いやつが一番強い。柔軟性があってこだわりのないやつが一番強い。これがまさにベンチャーキャピタルの判断基準に変わりつつあるのが今の現状なわけなんです」

参加者は「これはかつてあった、今まで色々勉強してきたリーダーシップ理論の中の、全然どこから取っていいか分からないリーダーシップ理論だなと思って。これがやはりもう最新のリーダーシップのセオリーになるんじゃないかなと思って聞いていました」と応じた。

講師はさらに、この「面白さ」の中身を具体化している。データサイエンティストの参加者に向けて、「クロス分析だったりオルタナ分析みたいな、新しい何かのデータを出してくるみたいなところがまさに。初めて聞く人が多いとなると、それって面白いというデータになるわけじゃないですか。こういう笑いの面白さじゃなくて、その目線のポイントになってくると思うんですよね」。つまり面白さとは、他人が持っていない視点から出てくる意外性のことである。

📌 Claude補足:この主張の位置づけ

「バグ・リーダーシップ」という命名はこの場でのやりとりから生まれたもので、経営学の確立された理論名ではない。ただし、内容の一部は既存理論と接続できる。

「こだわりのなさ=柔軟性」はアンラーニング(学習棄却)の議論と重なる。「好奇心=学習能力」はキャロル・ドゥエックのグロースマインドセット、およびアダム・グラントらの「rethinking」の議論と対応する。「意外性のある視点」は、両利きの経営における探索(exploration)側の能力に近い。

一方、「ミスが許されること自体に価値ができる」という主張は、経営学の既存理論には直接の対応物がない、講師独自の見立てである。この命題は検証可能な予測を含んでいる――AIが完璧に近づくほど、不完全さのプレミアムが上がる、という予測である。2026年時点では、人間的スキルの需要増という形で部分的に整合するデータが出ているが、「ミスが価値になる」という強い形での検証はまだできていない。要確認

また対立する見方も存在する。AI導入により品質の分散が縮小すれば、むしろミスの許容度は下がる(顧客が均質な品質に慣れる)という主張も成り立つ。講師の言う「ミスが許される」は、おそらく製品品質のミスではなく、人格・振る舞いにおける不完全さを指していると読むのが自然である。この区別をしないと命題が成立しなくなる。

PART 6 / ストーリーテリングとレジリエンス

資料が面白くなくなったから、語りが効く

参加者が「新しいプレゼンがどんなものなのか、すごく興味がある」と述べたのに対し、講師は「ちなみにレベルは落ちていますよ」と答えた。理由は明快である。「資料は面白くないです、一切」。

そこから導かれる結論がストーリーテリングである。「資料に面白みが出しにくくなっているからこそ、重要なことはストーリーテリングなんですよ。すなわちナラティブな経営、ナラティブなプレゼンテーション、ナラティブな営業、ナラティブなストーリーテリングがものすごく重要になってくる」。

参加者が「過去と同じ基準や同じ価値観で見ていくと全然ナラティブにならないですもんね。新しい考え方があるとか、新しい価値基準があるから、ここに新しくストーリーをぶち込める」と応じ、講師は「そうです」と肯定した。

レジリエンスという経営リソース

講師はさらに、ストーリーだけでは足りないと続ける。「だからこれこそまさにレジリエンスが重要になってくるんですよ。経営リソースじゃないですか。万が一市場に出したときにすぐに改善できるような、すぐにアップデートできるような人材やリソースが、しっかりと社内や組織の中に揃っているのかどうか。これも一つの経営戦略に入れていかなきゃいけないポイント」。

例として挙げたのがAppleとGoogleである。「なぜ優秀なのかという話なんですけど、OSを改善したときに評判が悪かった瞬間にすぐ改善してくるでしょう。またアップデートがすぐ行われるみたいな。これなんですよ」。

📌 Claude補足:ナラティブとレジリエンスの理論的背景

ストーリーテリングが投資判断に効くという議論は、カール・ワイクのセンスメイキング理論(『組織化の社会心理学』1979年、『センスメイキング・イン・オーガニゼーションズ』1995年)と接続する。この回でも参加者から「センスメイキング論」への言及があり、「自分たちが思っているところとのずれが、ただのずれではなく、こういう意味があってずれに見えているんだ、ということを提案していく」という理解が示された。講師は「それも一つのポイントだと思います」と応じている。

レジリエンスについては、この勉強会シリーズで繰り返し扱われてきた高信頼性組織(HRO)研究の系譜にある概念である。ここで講師が使っているのは、失敗を防ぐ意味のレジリエンスではなく、失敗した後の回復速度としてのレジリエンスであり、その速度自体を経営資源として計画に組み込むべきだという主張である。

PART 7 / 入れ子への回収

VCが上部構造、スタートアップが下部構造

講師は最後に、この話が直前のマルクス講義とどうつながるかを明示した。「これがベンチャーキャピタルが上部構造で、スタートアップ企業は何ですか。下部構造ですよね、これ。文化を作っていくわけでしょう」。

そして問いを重ねる。「今後求められる企業は何ですか。創業者の理想像って何ですか。リーダーシップを取るためのまず入り口になる根本は何ですか。ここになってくるわけなんです」。答えは三条件である。

さらに講師は、上部構造/下部構造がどのスケールにも存在することを再確認した。学校にもある。企業やスタートアップの中にもある。金融業界と製造業という大きい単位にもあれば、国という単位にもある。「僕らや一般の僕らがいるところは基本的に中小企業になるわけですよね。この中小企業というところに対しても、この上部構造と下部構造のストラクチャーができあがる」。

この構成の意味

講師は明示的に、直前の講義パートを回収する意図でこの話をしたと述べている。「説明をすると、さっきの前田さんの話が全部回収されて、会員さんにもメッセージとして届くんじゃないでしょうか、という風に考えついたんですけど」。

つまり、上部構造/下部構造という百年以上前の概念を、その日のうちに「米国VCの評価基準の変化」という2025年の実務にまで接続させた。理論を学ぶ意味は、こういう距離を一気に飛べることにある、という実演になっている。

Q&A / このテーマに属する質疑

質疑応答

プレゼンの機会が低下しているのはなぜか(講師から参加者への問いかけ)
参加者が「起業家がベンチャーキャピタリストにアクセスできる頻度が増えたから」と答え、講師は「確かにそれもあるんですけど、それは後で説明します」と留保したうえで、主因を「AIを活用してデータを作ってきているから、資料が同質化している」ことに求めた。
調達額が小さくなると何が起きるか(講師から参加者への問いかけ)
参加者が「投資先が増える」と答え、講師は肯定したうえで「根本的なポイント」としてもう一つを提示した。評価額が上がりにくくなるという点である。投資家が資金を分散しやすくなるので調達する企業は増えるが、評価額が上がりづらいためいずれ調達がしにくくなり、注目されにくくなる。
独自データはどうやって取るのか(講師から参加者への問いかけ)
参加者が「足で稼いで」と即答し、講師は「そう、アナログですよね」と受けた。この一往復が、この回の主張全体の要約になっている。
過去のVCのプレゼンは、TAMがあって市場がこれだけあって、そこにこれだけの問題があります、我々はこれを解決します、という定番のピッチだったと思うが、それに対してセンスメイキングが入ってくるということか
質問者は「自分たちが思っているところとのずれに、ただずれがあるんじゃなくて、こういう意味があってずれに見えているんだ、ということを提案していく感じか」と具体化した。講師は「それも一つのポイントだと思います」と肯定しつつ、より根本的には資料が面白くなくなったからストーリーテリングが効くのだ、と応じた。
VCの評価基準が変化したということだが、変化前はどういう評価基準だったのか
講師は「ピッチのうまさは大前提なんですけど、期待度が持てるかどうか」だったと答えた。しかし期待度はある程度AIで推論できてしまうため、期待値のポイントの想像がつきやすくなった。

そのうえで講師は、VCの評価基準が段階によって移り変わることを4段階で示した。①AI黎明期――今後AIがどうなるのかが評価基準。②市場がAIを学習する時期――活用性がどうなのかに期待が置かれる。③次の段階――活用性が生産性に変わる。どれくらい生産性が上がるのか。④現在――機能性の部分で評価されている。

講師の指摘:「今のAIのサービスって生産性が上がったデータがほとんどないわけなんですよね。一部企業しか出ていない」。したがって明るい未来の話から、どういうサービスが作れるかへ、そしてどれだけの生産性があるかへと、どんどん現実に落とし込まれていく。
VCの評価基準は何と連動しているのか
講師は「ベンチャーキャピタルの評価基準に何があるかは、時代背景を物語っているんですよ」と述べ、連動先を大手企業の決算だと答えた。大手企業が今できていないことを実現できる企業が生まれてくると、価値が上がる。そこから2つのパターンが出る。①資金調達ができてさらに評価額が上がる可能性、②買収されて株式が売却できる可能性。VCはどちらでもリターンを得られるため、そういう企業に注目する傾向が強くなる。
データだけでなく、データから次のデータを期待させるようなストーリー作りができると、投資家を自分のストーリーに巻き込んで資金調達もしやすくなるのではないか。事実というよりも、事実をベースにある種の嘘を語るという
講師は「それもあると思うんですけど、多分ストーリーテリングのところで、大抵の人が失敗するんじゃないかという感じが強い」と応じた。事実をベースに語ること自体は否定していないが、実行難度が高いという評価である。
宿題・アクションアイテム

次回までに手を動かすこと

  1. 自社の「独自データ」を棚卸しする。AIでは生成できず、公開情報にも存在せず、自分が足で集めたからこそ持っている情報を列挙する。列挙できないなら、それが投資家から見た自社の欠落そのものである。
  2. 三条件で自分と自社を採点する。①アナログの一次情報を持っているか、②学習に対してこだわりを捨てられているか、③他人が持っていない視点を出せているか。講師の言う「バグ」は、この三つの掛け算として定義されている。
  3. Stanford HAI の AI Index を実際に読む。講師が2回にわたって明示的に促した宿題。二次情報で数字を語らず、原典で確認すること自体が「独自データを取る」訓練になる。
  4. 自社のレジリエンス(回復速度)を測る。市場に出したものが不評だったときに、何日で改善版を出せるか。この日数が経営戦略の変数として認識されているか。AppleやGoogleとの差は、この一点に集約されるというのが講師の主張である。
  5. マクロデータとアナログデータの両方を持っているかを確認する。どちらか一方に偏っている場合、投資家からは「今どこにいるのか」または「どこへ向かうのか」のどちらかが見えない状態になっている。
  6. 講師がDiscordに投稿した当日の資料を確認する。この回の内容をPDFにしてグループに投稿すると講師が明言している。
用語集

このレポートに登場した用語

TAM / SAM / SOM
Total Addressable Market(獲得可能な最大市場)/Serviceable Available Market(自社が対応可能な市場)/Serviceable Obtainable Market(現実に獲得しうる市場)。ピッチデックの定番構成だが、AI生成により同質化した項目として名指しされた。
シード/レイトステージ
スタートアップ投資の段階区分。シードは創業直後、レイトは事業拡大局面。米国VC資金の6〜7割はレイトステージに向かう。2025年実績で68%。
Stanford HAI
スタンフォード大学 Human-Centered AI 研究所。年次の「AI Index Report」で投資額・採用率・モデル数の国際比較を公開している。
メガラウンド
1件で数億〜数百億ドル規模の巨額調達。2026年上半期はOpenAI・Anthropicの2社で世界のVC投資額の43%を占めた。
センスメイキング
カール・ワイクの理論。組織が不確実な状況に意味を与えて行動可能にする過程。この回では、ずれを「意味のあるずれ」として提示する技術としてピッチに応用された。
ナラティブ
語り・物語。資料の品質が同質化した環境で、差別化の残された領域として位置づけられた。経営・プレゼン・営業のすべてに適用されるという主張。
レジリエンス(回復速度)
この回での用法は、失敗を防ぐ能力ではなく、失敗後にどれだけ速く改善版を出せるかという回復速度。経営資源として戦略に組み込むべきものとされた。
バグ・リーダーシップ
この回の質疑で参加者が命名した呼称。アナログの強さ・柔軟性・面白さという三条件で構成される、既存のリーダーシップ理論に対応物のない新しい型。確立された学術用語ではない。
アンラーニング
学習棄却。既に持っている知識や成功体験を意図的に手放す能力。「こだわりを持っていない」「何でもやります」という講師の表現に対応する既存概念。