指標の穴を扱う講義の途中で、ある参加者の一言をきっかけに、この日いちばん厳しいやり取りが起きた。何を「調べた」と呼ぶのか。そして、相手が数字を出してこないときに、何を質問すれば実態が見えるのか。
この日の講義は企業指標の穴を扱っていた。TSR、EBITDA、PBR、ROE――どの指標にも動かせる場所があり、そこを見つけるには自分で計算式を開くしかない、という話である。その流れで講師が「テクニカル指標でも同じことができる。移動平均線がなぜ穴を持つのか調べてみるとよい」と促したとき、ある参加者から「AIに聞いても出てきませんでした」という趣旨の発言が出た。
講師の反応は即座で、そして容赦がなかった。AIに聞くことは調べることではない。リサーチでも何でもなく、ただ聞いているだけである。リサーチとは資料をもとに調べることであり、どのリソースから引いた情報なのかを確認できなければ、それは調べたことにならない。出典不明の情報でものを判断するのは、リサーチをしていないのと同じだ――と。
参加者が「出典がどこにあるのか自分には分からないので、どうしてもAIに頼ってしまう」と応じると、講師は選択肢を二つに絞った。それは「騙される人になる」と宣言しているのと同じであり、自分は何も考えないと言っているのなら、そのままでどうぞという答えになる。改善しましょうというのが今のメッセージだ、と。厳しいやり取りだが、講師は直後に、この問題は多くの参加者に共通しており、代表して発言してくれたことにむしろ他の全員が感謝すべきだ、と場をまとめている。
そして議論は、AIを否定して終わりにはならなかった。別の参加者が「市場全体の流れを把握するならAIでもよいのではないか」と補助線を引き、講師も同意する。問題はAIという道具ではなく、その道具では原理的に届かない領域に道具を使おうとすることにある。自分の店の隣にあるライバル店の実態は、AIには載っていない。そこから話は、数字が出てこない相手から実態を引き出すための質問の技術へ移っていった。
出典を確認できない情報を根拠にした瞬間、判断の主導権は自分から離れる。そして相手が数字を隠すとき、必要なのは追加の資料ではなく、比率を問う一つの質問である。どちらも「自分の頭で因数分解できるか」という同じ能力に帰着する。
講師の定義は明快だった。リサーチとは、資料をもとに調べることである。したがって重要なのは、どういうリソースから調べたのかを確認できることであり、リソースが不明な情報から判断を下すのはリサーチをしていないことに等しい。AIに質問することは、この定義のどこにも当てはまらない。ただ聞いているだけである。
これは単なる言葉づかいの問題ではなく、コミュニティ内のルールとして明示された。「AIで調べた」という言葉は存在しない、少なくともこのクラブでは通用しない、と講師は述べている。他のコミュニティなら通用するかもしれないが、ここでは通用させない、という言い方だった。
過去に同種の経験があることも語られた。別のビジネススクールでアドバイスをした際、「リサーチしてきてください」と依頼したところ、持ってこられた資料がすべてChatGPTの出力だったという。店舗展開のアドバイスをしている場面で、生成AIに聞いた結果を提示された、という具体的な状況である。「僕の言っているリサーチはそういうことじゃない」というのが講師の反応だった。
「AIに聞くことはリサーチではない」という主張は、コミュニティ内の規範として提示されたものであり、一般化された方法論として万人に適用できるかは別の議論である。実際に講義中でも、市場全体の動向把握のような用途については講師自身がAIの有用性を認めている。対立する見解として、出典を明示させる形でAIを検索の入口として使い、示された一次資料に自分で当たるという運用は成立しうる。ただしその場合も「AIが示した」ことは根拠にならず、当たった一次資料のほうが根拠になる、という点で講師の主張と矛盾しない。
別の参加者が入れた補助線が、この議論を実務的なものに変えた。市場全体の流れを把握するのであればAIでもよい。ある業界が今どういう状況にあるのかを抽出するのに使うのは有効かもしれない。しかし、自分の店の周りにあるライバル店のリサーチをAIでできるはずがない――という切り分けである。
講師はこれを受けて、問題の核心を言い直した。どこから引っ張ってきて、どういうリサーチをしてきたのかが決定的に重要だ、という点である。経営者が「リサーチしてきました」と言い、その中身がChatGPTへの質問だったとする。ならば問うべきは一つ。「あなたの地域のことをChatGPTが知っているのか」。参加者は「知りませんね、それは間違いなく」と即答した。
公開情報が十分に存在し、それが学習・検索の対象に含まれている範囲。業界全体の構造、一般的な理論の概要、広く報じられた出来事。ただしその場合も出典に当たり直すことが前提になる。
自分の商圏の競合店の実態。特定企業の内部の人事制度の運用。面談相手が口にしなかった売上の内訳。いずれも一次的な観察か、質問によってしか得られない。
ここで議論は、リサーチの下位問題としての「質問力」へ移る。取引先や投資先が総勘定元帳のような一次資料を出してくれない場合、どうするか。講師の答えは、資料を要求することではなく、質問の仕方を変えることだった。
「あなたには3つの事業がありますね。それは何対何対何ですか」――これを聞けば事業の割合が分かる。売上の総額だけでは何も分からないが、内訳の比率が分かれば、その事業の実態が推定できるようになる。
講師が持ち出したのは、参加者の一人を主語にした例え話だった。ある若い女性が「私は今アイドルグループで活動していて、月100万円稼いでいます。あなたが通してくれれば月1,000万円の利益が出ます」と説明してくる。額面だけ見れば投資の判断材料になりそうに見える。
しかし内訳を聞くとどうなるか。100万円のうち90万円がキャバクラの収入で、アイドル活動で稼いでいるのは10万円だった、という場合。ここで問うべき質問は「では、その構成でどうやってアイドル活動で1,000万円を稼ぐのですか」であり、相手はこれに答えられない。逆に、アイドルで80万円、家賃を賄うためのキャバクラが20万円という比率であれば、1,000万円という数字にも一定の説得力が生まれる。同じ「月100万円」でも、比率が違えば意味がまったく変わる。
売上総額は、複数の異なる事業を一つの数字に潰してしまう。これは前回の講義でTSRについて指摘されたのとまったく同じ構造である――事業と運と化粧が一つの数字に混ざる。比率を問うことは、その数字を構成要素へ分解する作業であり、面談の場でできる最も簡便な因数分解にあたる。
講師は例えをさらに進めた。仮に3つの収入源がきれいに3分の1ずつに分かれていたとする。先月の合計が約100万円で、来月は200万円になるかもしれない、だから今後5倍も狙える――という説明を受けたとき、何を確認すべきか。答えは、増えた100万円の中身である。もしその増分がキャバクラの誕生日月による一時的な売上だったとしたら、それは再現しない。誕生日は年に一度しか来ない。
この論点に対して参加者から実務的な補足が入った。誕生日月のような要因は年間で毎回発生するため通常の売上として計上するのはありうる、しかしそれが分かるのは話を聞いたときだけで、聞いても分からないこともある、と。さらに講師は、実際の中小企業では収入源を区分していないケースが多く、売上ですら区分されていないことがある、と指摘した。ごちゃまぜになったケーキのような状態で、そもそも分けられない、というのが実態だという。
| 相手が提示するもの | そのままでは分からないこと | 投げるべき質問 |
|---|---|---|
| 月商100万円 | どの事業が稼いだのか | 事業が3つあるなら、何対何対何ですか |
| 来月200万円になる見込み | 増分がどこから来たのか | 増えた100万円は、どの事業のどんな要因ですか |
| PLとBSだけ | その数字がどう作られたのか | 総勘定元帳を見せてもらえますか |
| 「リサーチしてきました」 | どこから取ってきた情報か | そのリソースは何ですか |
表1|講義中に示された質問の型を整理。いずれも「一つの数字を構成要素に割る」という同じ動作を行っている。
PART 3参加者から、投資家のなかには相手の総勘定元帳、つまり全取引の記録を見せろと要求する人がいるが、それはどういうことなのかという質問が出た。講師は「自分は普通に言うタイプだ」と即答したうえで、その動機を説明した。
総勘定元帳があればPLとBSを自分で作れる。そこからキャッシュフローも作れる。中小企業ではPLとBSだけを提示されることが多いが、それだけでは「そのPLが本当はどのように作られたのか」の裏が取れない。土台にあたる総勘定元帳を見て、そこから自分でPLとBSを組み立て直し、提示されたものと一致するかを検証する。会計士的な発想であり、これをやられると騙しようがなくなる、という位置づけである。参加者はこれを「ある意味しっかりしている」と評価した。
ただし、出してもらえない場合のほうが実際には多い。だからこそ質問の仕方が重要になる、というのがPART 2で扱った比率の質問につながる。総勘定元帳が最良の手段であることと、それが手に入らないときに何ができるかは、別々に用意しておく必要がある。
総勘定元帳は、すべての取引を勘定科目ごとに集約して記録した会計帳簿である。仕訳帳に記録された取引が転記され、そこから試算表を経て貸借対照表と損益計算書が作成される。日本の会社法では会計帳簿の10年間の保存が義務づけられており(会社法432条2項)、税法上も帳簿書類の保存義務がある。「総勘定元帳からPLとBSを作れる」という講師の説明は、複式簿記の作成順序どおりであり正しい。投資家やM&Aの買い手がデューデリジェンスの過程で元帳の閲覧を求めることは実務上珍しくないが、開示範囲は交渉事項であり、法的に開示を強制できるものではない。
講師はこの一連の話を、知識の持ち方の問題として締めくくった。打ち合わせや投資家との面談の場で、出されてきた指標をその場で因数分解できなければならない。AIに聞きながらでは会話にならない。だから知識を頭のなかに入れておくことによって、その場で即座に分解できるようになる必要がある――というのが結論である。
この主張は、PART 1のAI批判と一本の線でつながっている。AIを使うかどうかという道具の議論ではなく、判断が求められる瞬間に自分の内側に何が入っているか、という蓄積の議論である。面談は待ってくれない。
PART 4講義の合間に年が明けたことが話題になり、新年の挨拶が交わされた。ここで参加者から、身内に不幸があった年は新年の祝いを言ってはいけないという習慣について質問が出た。前年に不幸があった場合は祝いをしないという慣習があること、期間は一年であること、範囲は身内の三親等程度ではないか――ただし明確な定義はないだろう、というのが場の見解だった。講師自身は「関係ないと思っているので気にしなくていい」と扱われ、改めて新年の挨拶が交わされた。
喪中の範囲について、法的な定めは現在存在しない。明治7年の太政官布告「服忌令」には親等ごとの服喪期間の規定があったが、昭和22年に廃止されている。現在は慣習として、一般に二親等(祖父母・兄弟姉妹まで)を目安とする例が多く、期間は一年とされることが多い。ただし地域差・宗派差が大きく、統一された基準はない。「明確な定めはない」「三親等くらいではないか」という場の理解は、実態としておおむね妥当である。
講師は年始らしい話として、信用しない人間の類型を挙げた。来年の抱負を語る人間である。「来年やると語ることは、去年やっておけばよかった話」であり、去年やらなかったことを人は今年の抱負に書く、という指摘だ。そのうえで、この場の参加者に対しては具体的な抱負を提示した。三つだけである。自ら調べる。自ら喋る。自ら書く。人と話し、物を書き、物を調べる。これだけで人は成長するのだから、他の抱負はつけなくてよい――というのが講師の言い方だった。
自ら調べる/自ら喋る/自ら書く。この日の講義の主題――AIに聞くことは調べることではない、その場で因数分解できるようにしておく、アウトプットが出ないのは理解していない証拠――が、そのまま行動指針の形に圧縮されている。
最後に講師は、自分自身の約束不履行についても言及した。参加者50人がエヴァンゲリオンについてアウトプットを提出したにもかかわらず、自分は約束していた講義を行わないと宣言したところ、強く抗議されたという。理由は「参加者が自分の指示をやらずに嘘をつき続けてきたのだから、自分も一つ嘘をついた」というもので、これを別の関係者に話したところ「人間が小さい」と怒られた、と笑い話として語られた。講義は「アウトプットをよろしくお願いします」という念押しで締められている。
講義中、3月4日に刊行予定の書籍について予約を促す発言があった。要確認刊行元・書名を特定できる公開情報は確認できなかった。講師は「性格が悪くなる本」と表現しており、この日の議論――相手の実力を測るために意図的に仕掛ける、性悪説に立って指標を疑う――と地続きの内容と推測されるが、推測にもとづく補足は行わない。
Q1. 出典がどこにあるのか自分では分からないので、どうしてもAIに頼ってしまう。
A. 講師の応答は、それは「自分は騙される人になる」と宣言していることと同じだ、というものだった。改善しましょうというのが今のメッセージであり、何も考えないというのならそのままでどうぞという答えになる、と二択が提示された。参加者が「いや、そうではない」と応じると、講師は「だったらその返答はおかしい」と返している。厳しいやり取りだが、講師は直後に、同じ誤解をしている人が非常に多く、代表して発言してくれたことに他の全員が感謝すべきだ、と場を収めた。
Q2. 調べたことを全部AIにかけて、それがリサーチだと思っている人は多いのか。自分だけに向けられた話ではないということか。
A. そのとおりだ、というのが講師の答えである。同じやり方をしている人は他にも多数いると明言された。新しく入った参加者はたいていそうしたリサーチの仕方しかしてこないことも分かっているので問題ない、これから直せばよいだけの話だ、と説明された。
Q3. 相手の総勘定元帳を全部見せろと言ってくる投資家はいるのか。
A. 講師自身がそう言うタイプであると回答。総勘定元帳があればPLとBSを作れ、そこからキャッシュフローも作れる。中小企業ではPLとBSしか出てこないことが多いが、それでは「そのPLが本当はどう作られたのか」の裏が取れない。土台にあたる元帳から自分でPLとBSを組み直して検証する、という会計士的な発想である。これをやられると騙しようがなくなる、と評された。
Q4. 前年に不幸があった場合、新年の挨拶をしてはいけないのか。範囲はどこまでか。
A. 前年に不幸があった年は祝いをしないという習慣がある、というのが場の共通認識。期間は一年で、翌々年の年始からは問題ない。範囲については祖父母は含まれるのではないかという意見と、身内の三親等程度ではないかという意見が出たが、明確な定めはないだろうという結論になった。友人については含まれないという見方が示された。