STUDY REPORT / 2026年8月度 勉強会

23時間取引と評価軸の米国移転
――時間の障壁が消えた後、値付けの主導権はどこへ行くのか

取引所の時間延長は「投資家の時間資源の奪い合い」である。Nasdaqが12月6日に23時間取引へ移行すると、日本市場を守ってきた時間の障壁と情報の障壁が同時に外れ、株式の評価軸そのものが米国へ輸出入される——その構造とホールドアップ問題を扱った回。
テーマ:市場構造/取引時間延長/評価軸の移転/ホールドアップ問題 | 作成日:2026年8月27日
EXECUTIVE SUMMARY

時間の障壁が消えると、値付けの主導権はどこへ行くのか

12月6日
Nasdaq 23時間取引の
開始予定日(2026年)
23時間
新体制での1日の
取引可能時間
5時間30分
東証の1日の
取引時間(現行)
3,895社
東証上場会社数
(2026/8/26時点)
5.05%
MSCI ACWIに占める
日本のウェイト
63.2%
世界株式時価総額に
占める米国の比率

本セッションの出発点は、取引所が取引時間を延ばすという一見テクニカルな話が、実は投資家の可処分時間の奪い合いであるという指摘だった。過去の実例として香港取引所が二段階に分けて取引時間を拡大したケースが挙げられ、あれはシンガポール時間の投資家の動きと欧州の投資家の動きに自市場を重ね合わせにいった動きだったと整理された。取引時間を重ねるという行為は、単なる利便性の提供ではなく、他市場の投資家の視線を自市場に引き寄せるための競争行動である。

この観点で見ると、Nasdaqが23時間取引へ移行するという事実の意味は明確になる。現在、東証は5時間30分、Nasdaqは6時間30分の取引時間を持ち、しかも両者は時間帯が重なっていない。この非重複が、これまで日本市場にとっての防波堤として機能してきた。ところが米国市場が23時間動き始めると、情報が23時間流れ続ける状態になる。情報量の多い場所に人は集まるという原理により、これまで日本株しか見ていなかった層にも米国の情報が嫌でも目に入るようになる。

その先に起きるのが、評価軸の統一である。同じ会社を見るときの投資家の目線は日本と米国で異なるが、取引時間が重なり市場が一体化していくと、規模の大きい側の評価軸に収斂していく。日本市場は自前で評価を下す市場ではなく、米国で決まった評価を輸入する市場へと性格を変える。日本企業を見るときも「この会社が米国のどの企業とどう絡んでいるか」が主要な判断軸になり、最終的には「それなら米国企業を直接見た方が早い」という結論に行き着く。

市場のミクロ構造にも影響が及ぶ。6時間30分に集中していた注文が23時間に分散すれば、板は全体的に薄くなり、ボラティリティが上がる。時間外取引で決算後に5%も8%も動くのは、そもそも板がないからである。23時間化はこの「時間外」という概念そのものを消滅させる可能性がある。そして板が厚い市場ほど株価は安定するため、資金は厚い側——すなわち米国——へさらに吸い寄せられ、米国外の取引所の板はいっそう薄くなる。大きい風船に小さい風船をつなげると小さい方の空気が吸い上げられる、という比喩が使われた。

波及は為替にも及ぶ。日本の個人投資家によるNISAや積立の米国株買いは特定の時間帯に集中しているが、日本の日中に米国がリアルタイムで動くようになれば、ドルの調達ニーズが24時間ほぼ連続的に発生する。クロス円が朝9時から綺麗なトレンドを作ってきたのは、株式の時間外取引が限定されていたからであり、その前提が崩れれば為替運用の見方自体を組み替える必要が出てくる。

セッションを貫く1本の線 日本市場は「時間の障壁」と「情報の障壁」という二つの壁に守られてきた。23時間取引はこの二つを同時に取り払う。壁が消えた後に残る優位性は、板の厚さでも制度でもなく、海外にリーチできるリサーチ能力だけである。だからこそ本セッションは、市場構造の話から自然にリサーチ格差の話へ接続していく。
PART 0

前例としての香港——取引時間の延長は「時間資源の奪取」である

導入は香港取引所の話から始まった。香港は十数年前、取引時間を1時間長くする改革を二段階に分けて実施している。この改革の意図として説明されたのは、シンガポール時間の投資家の動きと欧州の投資家の動きに自市場の時間を重ね合わせる、という狙いだった。つまり取引時間の延長とは、他市場の投資家が動いている時間帯に自分の市場も開けておくことで、その投資家の注意と資金を取りに行く行為である。

ここから導かれる原則が、本セッション全体の土台になる。取引所の時間を増やすことは、投資家の時間資源を奪うことである。投資家が1日に市場を見ていられる時間は有限であり、その有限な時間を市場同士が奪い合っている。時間を延ばした側は他市場の投資家の視線を吸い込み、延ばさなかった側は視線を失う。

📌 Claude補足

香港証券取引所の取引時間拡大は、実際にフェーズ1・フェーズ2の二段階で実施されている。フェーズ1は2011年3月7日で、取引開始時刻の前倒し(日本時間午前11時→10時30分)と昼休みの2時間から1時間30分への短縮により、取引時間が1時間延長された。フェーズ2は2012年3月5日で、昼休みがさらに30分短縮され後場が延長された。発言の「十数年前」「二段階」「1時間長くなった」はいずれも事実と整合する。裏取り済

この延長の公式な狙いとして当時挙げられていたのは、中国本土市場(上海・深圳)との取引時間の整合性確保だった。発言にあるシンガポール時間・欧州時間との重ね合わせという解釈は、公式説明そのままではなく市場競争の観点からの読み替えである点は認識しておきたい。要確認

PART 1

23時間取引が起こすこと——情報の一本化と「評価軸の輸入」

現状、東証の取引時間は5時間30分、Nasdaqは6時間30分であり、両者の時間帯は重なっていない。この非重複状態を前提に、日本の投資家は「米国が閉まっている間に日本を見る」「米国が開く前に仕込む」といった時間差の使い方をしてきた。23時間取引はこの前提を根こそぎ崩す。

まず情報の流れ方が変わる。市場が23時間動いていれば、情報も23時間流れ続ける。IRの出し方、打ち方まで含めて米国側の情報量が圧倒的になり、日本の情報量の少なさが相対的に際立つ。すると、これまで日本株しか見ていなかった投資家にも、嫌でも米国の情報が視界に入ってくる。人は情報量の多い場所に集まる。

評価軸は大きい市場に収斂する

同じ企業を見るときの評価軸は、日本と米国で異なっている。投資家が何を見て値付けするかという目線そのものが違う。ところが取引時間が重なり市場が一体化していくと、この評価軸は規模の大きい側へ統一されていく。過去のデータでも、取引時間が長くなって重なった場合、評価軸は大きい方の市場へ移っていくという傾向が観察されるという指摘があった。

結果として日本市場は、自前で評価を下す市場から評価を輸入する市場へと性格を変える。米国の判断基準がこうだから日本のこの会社はこうなる、という連動がオンタイムで起き始める。例えばNVIDIAと藤倉は通信領域で間接的につながっているが、これまでは動いている時間帯が違ったため時間差取引が成立していた。時間が重なればその時間差は消え、単純な連動になる。

📌 Claude補足

Nasdaqの23時間取引は、2026年12月6日(日)開始予定と報じられている。新設される夜間セッションは米東部時間21:00〜翌4:00で、既存の時間外枠(4:00〜9:30、16:00〜20:00)と接続する。取引が止まるのは業界共通の20:00〜21:00の1時間(清算・取引日ロールオーバー処理)と土曜日終日のみ。発言中の「12月6日から」は正確。ただしこの日程はSECの追加承認とSIP(証券情報プロセッサ)の夜間稼働準備の完了が前提であり、確定事項ではない点は補足しておく。裏取り済

NYSEについても、傘下のNYSE Arcaが2025年2月にSECへ22時間取引(米東部時間1:30〜23:30、平日)を申請し承認を得ている。launchは2026年をターゲットとして市場データ・清算・取引インフラの調整が進行中。つまり「NYSEとNasdaqの両方が延長へ動いている」という発言の趣旨は正しいが、NYSE側は23時間ではなく22時間であり、対象取引所はNYSE本体ではなくArcaである。裏取り済

東証の取引時間5時間30分は、2024年11月5日の30分延伸(大引け15:00→15:30)後の数字。同時にクロージング・オークションが導入されている。裏取り済

主要取引所の1日あたり取引時間の比較
単位:時間/出典:JPX、Nasdaq、NYSE、LSEG各社発表をもとにClaude作図。Nasdaq新体制は2026年12月6日開始予定(SEC承認前提)、NYSE Arca・LSE 24は2026〜2027年の予定値
構造上の帰結 米国に関連する日本企業を中心に見るようになる →「それなら米国企業を直接見た方が早い」という判断に行き着く →日本市場でわざわざ買う必然性が薄れる。この連鎖が、以降のPARTで扱う日本市場の空洞化の起点になる。
PART 2

板が薄くなる——ボラティリティ上昇と「時間外」概念の消滅

取引時間の延長は、注文の集中度を直接的に下げる。これまで6時間30分の中に集まっていたオーダーブックが23時間に分散すれば、単位時間あたりの板は必然的に薄くなる。板が薄いということは、同じ注文量で価格がより大きく動くということであり、ボラティリティの上昇を意味する。

この論点を最も分かりやすく示すのが、既存の時間外取引の値動きである。決算発表は市場が閉まった直後に出ることが多く、その後の時間外取引で株価が5%や8%動くことは珍しくない。しかしこれは、その情報が本当にそれだけの価値変化をもたらしたからではない。時間外に取引できるのはプロの投資家や機関投資家に限られ、板が事実上存在しないからそれだけ動くのである。まともなオーダーブックがあれば9%も動くはずがない、という指摘がなされた。

これまで
取引時間6時間30分に注文が集中。板が厚く価格は安定。時間外は板が薄く、限られたプレイヤーだけが大きく動かす特殊な時間帯だった。
23時間化後
同じ注文が23時間に分散。板は全体的に薄くなる。「時間外取引」という概念そのものが、1時間の停止を除いて消滅する。

厚い板が薄い板を吸い上げる

ここで重要な非対称性が指摘される。株式は板が薄い市場より板が厚い市場の方が安定する。そして日米で板がどちらが厚いかといえば、どう考えても米国である。情報のあるところに人が集まるという原理と組み合わせると、米国の板はさらに厚くなり、その裏返しとして米国以外の市場の板はさらに薄くなる。米国以外の取引所のボラティリティは、米国以上に上がる可能性がある。

ただし米国も無傷ではない。米国市場は株式市場としての規模が圧倒的で、6時間30分の中では板が薄い時間帯はそれほどないが、その時間が4倍近くに膨らむ以上、必ずどこかの時間帯は薄くなる。この比喩として、大きい風船に小さい風船をつなげると小さい方の空気が全部大きい方へ吸い上げられる、という表現が使われた。

📌 Claude補足

「時間外の値動きが大きいのは流動性が薄いから」という論点自体は、市場マイクロストラクチャーの標準的な理解と整合する。時間外セッションは板の厚みが日中の数十分の一程度しかなく、同じサイズの注文がより大きく価格を動かす。ただし決算後の株価変動には流動性要因だけでなく純粋な情報要因(サプライズの大きさ)も含まれるため、「板がないから動くだけで9%は本来ありえない」という断定はやや強い。実際には両者の合成と見るのが妥当である。要確認

なお23時間化しても「時間外」の概念が完全に消えるわけではない。Nasdaqの新体制でも20:00〜21:00(米東部時間)の1時間停止と土曜終日の休場は残り、また流動性が薄い夜間帯という意味での実質的な「時間外」は残存する。消えるのは制度上の区分であって、流動性の濃淡そのものではない。

PART 3

為替への波及——ドル調達ニーズが24時間連続化する

株式市場の時間構造の変化は、そのまま為替市場に波及する。金融経済における資金の動きは実体経済よりも圧倒的に速く、株式の連動や資産移動は為替に直結するからである。

具体的な経路はこうである。日本の個人投資家がNISAや積立を通じて米国株を買うとき、その買い注文は特定の時間帯に集中して発生する。この集中があるから、そこで発生するドル調達ニーズもまた時間帯が読めていた。ところが日本の日中に米国株がリアルタイムで売買されるようになると、ドルの調達ニーズが24時間ほぼ連続的に、しかも現物として発生することになる。

クロス円の朝9時トレンドが崩れる

日本の株式市場は9時に始まり、クロス円はそこから綺麗なトレンドを作ってきた。これは偶然ではなく、株式の時間外取引が限定されているために、その時間帯に資金が動き、トレンドが計算できたからである。株式が24時間動くようになれば、この前提が崩れる。FXを含めた為替運用の見方そのものが変わり、これまでの取引の仕方が通用しなくなる可能性がある。

デリバティブとの時間ミスマッチ 参加者から出た懸念は、オプション市場の取引時間は変わらないという点だった。原資産が23時間動くのに、ヘッジ手段であるオプションが従来の限られた時間帯でしか動かないとすれば、その間のリスク管理は難しくなる。23時間と6時間という非対称な状態でボラティリティまで上がるなら、12月以降は戦略を組み替えざるを得ない、という結論が共有された。

なお、上場デリバティブについては別の見方も示された。現在のデリバティブ市場の主戦場は取引所に上場・クオートされている商品ではなく、ほぼ業者間取引(OTC)であるため、取引所の時間延長の影響はそれほど大きくないのではないか、という指摘である。

📌 Claude補足

「金融経済の資金移動は実体経済より速い」という論点の背景として、BISの調査ベースでは為替市場の1日あたり取引高は世界の年間貿易額を大きく上回る規模で推移しており、為替取引の大半が実需ではなく金融取引由来であることは広く確認されている。ただし本セッションで具体的な数値は挙げられていないため、ここでは構造的な傾向の確認にとどめる。要確認

米国株の時間外取引・夜間取引の拡大に伴い、対応するオプション・先物の取引時間をどう整合させるかは、米国の取引所・清算機関の間でも未解決の論点として議論が続いている。参加者が指摘した「原資産とヘッジ手段の時間ミスマッチ」は、市場関係者の間でも実際に主要な懸念の一つとして挙げられている論点である。

PART 4

日本市場の空洞化——MSCIウェイト、上場社数、そしてソフトバンク

ここから議論は、日本市場そのものの立ち位置へ移る。参加者からは、セクターの動き自体がすでにほぼ米国のフォロワーになっており、日本にわざわざ投資するなら、よほどエッジの効いた会社でなければ投資資金は来ない、という現状認識が示された。

時間延長に反対したのは誰か

以前、日本でも取引時間を延長するという議論があった際、労働組合など内部から強い反対が出たという経緯が語られた。時短や働き方改革という文脈で語られる一方、海外からの資金の流動性という観点で物事のアクションが取られていない、という批判である。

MSCIウェイトと「投資できない3,000社」

より構造的な問題として挙げられたのが、指数採用の問題である。MSCIにおける日本のウェイトはすでに5%を切りつつあり、このトレンドは昔から続いている。そして日本には約4,000社が上場しているが、MSCIで実際に投資できる銘柄は900社程度しかない。残る3,100社は誰が投資するのかといえば、日本の個人投資家くらいしかいない。この層が薄い銘柄群では、ボラティリティがさらに上がる。そこから銘柄を選ぶなら、よほどエッジが立っているか、モート(参入障壁)がある会社に限られる。

📌 Claude補足

発言と公開データの食い違い①:「MSCIで日本のウェイトが5%を切ってきている」という発言に対し、MSCI ACWIにおける日本のウェイトは2026年7月31日時点で5.05%。方向としては長期低下トレンドで発言の趣旨は正しいが、直近時点では厳密には5%を「切って」いない。境界線上にあるというのが正確な状態である。裏取り済

発言と公開データの食い違い②:「4,000社上場・MSCIで投資できるのは900社」という数字について、東証の上場会社数は2026年8月26日時点で3,895社(プライム1,550・スタンダード1,560・グロース598・TOKYO PRO Market 187)。おおむね4,000社という認識は妥当。一方MSCIの側は、標準のMSCI Japan Index(大型・中型)の構成銘柄数は2026年7月31日時点で168社、小型・マイクロキャップまで含むMSCI Japan All Cap Indexで3,017社である。発言の「900社」がどの指数を指しているかは特定できなかった。中間に位置するMSCI Japan IMI(大型・中型・小型)を指している可能性が高いが、この数字は自分で該当指数のファクトシートを確認すべき要確認

世界株式時価総額に占める国別シェア(2026年3月末)
単位:%/出典:MSCI浮動株基準の時価総額データ(資産形成ハンドブック集計)をもとにClaude作図
東証上場会社数の推移(2026年1月末〜8月)
単位:社(プライム・スタンダード・グロース・TOKYO PRO Marketの合計)/出典:日本取引所グループ「上場会社数・上場株式数」

ソフトバンクはナスダック上場の方が理にかなう

評価軸の物差しが米国に移るなら、たとえ日本国内で取引が行われても、値付けの基準は米国にある。であれば、わざわざ日本市場に上場しておく必然性は薄れる。この文脈でソフトバンクグループのナスダック上場が「メイクセンスする」と指摘され、PayPayをナスダックに上場させたのはその延長線上にある動きだという解釈が示された。

ただし日本に残る意味がないわけではない。ソフトバンクは現在も個人投資家から社債を募集しており、個人投資家に対するソフトバンクという存在意義は残る。したがって上場廃止までは起きないだろうが、デュアル上場は十分ありうる、という見通しが示された。

📌 Claude補足

PayPay株式会社は2026年3月12日にNASDAQへ新規上場。公開価格16ドル、初値19ドル、初日終値18.16ドル(公開価格比13.5%高)で、初日終値ベースの時価総額は約1.9兆円。調達額は8億7,980万ドル(約1,400億円)で、日本企業による米国証券取引所への上場としてはこの10年で最大規模となった。発言の「PayPayをナスダック上場させた」は事実。裏取り済

一方、ソフトバンクグループ本体のナスダック上場・デュアル上場は、本レポート作成時点で正式決定・公式発表された事実は確認できない。発言はあくまで「メイクセンスする」「十分ありうる」という予測・見立てとして述べられたものであり、決定事項ではない。ここを混同しないよう注意が必要である。要確認

JPXのシステム対応という現実的な制約

仮に日本も追随しようとしても、JPXのシステム投資を担っているのは富士通やNTTといった事業者であり、23時間の電子取引だけでも対応できればよいが、そこまでの投資判断はおそらくできないのではないか、という現実的な見立てが示された。技術的な可能性と、投資意思決定の実現可能性は別問題である。

PART 5

ホールドアップ問題——価格交渉権はどちらが握るのか

本セッションで、23時間取引の議論を包む上位のフレームとして提示されたのがホールドアップ問題だった。ここでの要点は「価格交渉権を誰が持つか」である。

Nasdaq・NYSEの23時間・24時間運用は、まさに価格決定権が米国側へ移っていくという現象である。上流工程が米国になり、下流工程が日本、あるいは別の市場になる。この構造下で日本市場が値付けを主導する余地は残らない。

実務への落とし込み 上流が米国、下流が日本という構造が固まるなら、勝てるのは外部にリーチできる人間——具体的には米国から一次情報を取れる人間である。国内でしかリサーチできない人と海外までリサーチできる人の間に圧倒的な差が生まれ、そこに新しい付加価値が生まれる。「海外リサーチができないなら、今後の株式運用は本当にきつい」というのが本セッションの結論部分だった。

そのための具体的な手段として、Wall Street Journal、Washington Post、New York Times、Bloombergといった有料ニュースへの投資が挙げられた。日本人がこの種の有料ニュースに最も金を使っていないのも事実であり、日本語版もあるものが多い。事業をやるなら海外の成功事例の方がインパクトが強く、日本人の大半が海外リサーチをできない状況下では、海外事例を持ち込めること自体が模倣困難な産業障壁になる、という論点で締められた。

📌 Claude補足

ホールドアップ問題は、Klein, Crawford & Alchian(1978)"Vertical Integration, Appropriable Rents, and the Competitive Contracting Process"(The Journal of Law and Economics, 21: 297-326)を基礎文献とし、Oliver Williamsonの取引費用経済学で体系化された概念。いったん投じると引き返しにくく、かつ取引相手の交渉力を高めてしまう投資をめぐって、契約が不完備な状況で発生する。資産特殊性(asset specificity)と共特化が発生要因とされる。裏取り済

本セッションでの使い方は、この概念を市場構造に応用したもの。日本市場や日本企業が米国市場の評価軸に依存する構造を作り込んでしまうと、その依存自体が「引き返しにくい特殊投資」となり、価格交渉権が米国側に移る、という読み替えである。原典の企業間取引の文脈からは拡張された用法であることは押さえておきたい。

Q & A

本テーマに関する質疑応答

Q23時間取引になると「為替市場の見方が変わる」というのは、為替はすでに24時間動いているのでは?
Aそういう意味ではない。為替は確かに24時間動いているが、論点は株式の連動や資産移動を通じた資金の流れ方の方である。金融経済における資金移動は実体経済より圧倒的に速く、株式の時間構造が変われば為替の動き方も変わる。クロス円が朝9時からトレンドを作ってきたのは、株式の時間外取引が限定されていたからであり、その前提が崩れる。
Qオプション市場の時間は変わらないので、裏でそんなに動かれるとやりにくくなるのでは?
Aその通りで、原資産が23時間、ヘッジ手段が従来通り約6時間という非対称な状態になると、リスク管理は相当きつくなる。しかもボラティリティ自体も上がる。12月以降は戦略を変えざるを得ない、という結論になった。
Q(小賀氏へ)仮に23時間取引になったら、どう見るか?
Aまさにその通りで、すでに従属している。リンクするセクターの動き自体がほぼ米国のフォロワーになっている。日本にわざわざ投資するとなると、よほどエッジの効いた会社でなければ投資資金は余計に来ない。以前に日本でも取引時間を延長するという話が出たときも、労働組合などが猛烈に反対した。時短や働き方改革という文脈ばかりで、海外からの資金の流動性を考えたアクションが取られていない。
Q機械的にトレードするヘッジファンドは、これまで分断されていたものをどう扱うようになるのか?
A例えば「NVIDIAのPBRが20倍だから」という基準が日本株にそのまま反映されるようになる。分断されていたものが一体化するということであり、価格交渉権を米国が持つ構造がさらに強まる。
Qデリバティブへの影響は?
A現在のデリバティブは取引所にクオートされているものがメインではなく、ほぼ業者間取引(OTC)である。したがって取引所の時間延長かどうかは、それほど関係ないと考えられる。
QJPX自身は23時間取引に対応できるのか?
Aシステム投資を担っているのは富士通やNTTといった事業者になる。23時間の電子取引だけでもやればいいと思うが、そこまでの対応は投資判断としておそらくできないのではないか。
宿題・アクションアイテム

本テーマから持ち帰るべきこと

  1. ホールドアップ問題を手書きで書いて覚える。「価格交渉権を誰が持つか」という論点とセットで頭に入れる。何度も書かないと定着しない、と繰り返し強調された。
  2. 12月以降の運用戦略を組み替える。原資産23時間・オプション約6時間という時間ミスマッチ、およびボラティリティ上昇を前提に、現在の戦略が通用するか点検する。
  3. 海外リサーチのチャネルを確保する。Wall Street Journal、Washington Post、New York Times、Bloomberg等の有料ニュースへの課金を検討する。多くは日本語版もある。
  4. 保有・監視銘柄について「米国のどの企業と、どの経路でつながっているか」を洗い出す。時間差取引が消える前提で、連動先を特定しておく。
  5. MSCIの日本ウェイトと採用銘柄数を自分で確認する。本レポートで特定できなかった「900社」がどの指数を指すのか、該当ファクトシートで裏を取る。
  6. 海外事例のストックを作る。日本人の多くが海外リサーチをできない状況では、海外の成功事例を持ち込めること自体が模倣困難な参入障壁になる。
用語集

本レポートに登場した用語

ホールドアップ問題
いったん投じると引き返しにくく、かつ取引相手の交渉力を高めてしまう投資をめぐり、契約が不完備な状況で発生する問題。Klein, Crawford & Alchian(1978)が基礎、Williamsonの取引費用経済学で体系化。
資産特殊性(Asset Specificity)
ある特定の用途にしか使えない資産の性質。特殊性が高いほどホールドアップ問題が起きやすい。
オーダーブック(板)
売買注文が価格ごとに並んだ状態。板が厚いほど大口注文を吸収でき価格が安定し、薄いほど同じ注文量で価格が大きく動く。
時間外取引
通常の立会時間外に行われる株式取引。参加者がプロ・機関投資家に限られ流動性が薄いため、値動きが大きくなりやすい。
SIP(証券情報プロセッサ)
米国の全取引所の気配・約定を集約して配信する仕組み。夜間セッションでもSIPが稼働することがNasdaq 23時間取引の前提条件になっている。
MSCI ACWI
MSCIが算出する全世界株式指数(先進国+新興国)。国別ウェイトは各国株式市場の相対的な存在感を示す代表的な指標。
モート(Moat)
競合が容易に侵食できない持続的な競争優位・参入障壁。指数から外れた銘柄群から選ぶ際の必須条件として挙げられた。
デュアル上場
同一企業が複数の証券取引所に株式を上場すること。ソフトバンクの選択肢として言及された。
クロージング・オークション
東証が2024年11月の取引時間延伸と同時に導入した、大引け前5分間の板寄せ方式。
NYSE Arca
NYSE傘下の電子取引所。2025年2月に22時間取引をSECに申請・承認され、既存の株式取引所として初の延長事例となった。